事件番号「平成19年(行ウ)違法公金差し止め等請求事件(沖縄命の森やんばる訴訟)」
   
平良 克之 2007年10月31日
 
 私はやんばる大宜味村で生まれました。現在は自然写真家として本島北部やんばるを中心として自然の記録と自然保護啓蒙活動をしています。なぜ裁判をしなければならなかったのか述べます。今年は復帰35年目です。やんばるはもとより沖縄は開発の限界にきています。これまでのような開発のあり方を見直し、時代を見据えた発想の転換が必要です。このままだと世界の宝である生物多様性と子々孫々に残すべき遺産が消滅してしまいます。その権利は誰にあるのでしょうか。現在の生活向上だけで資源を食いつぶしていいのでしょうか。胸が痛みます。長い間、保全活動をしてきましたが、声を上げる最後の手段となってしまいました。

  やんばるは山々が連なり、人をよせつけない地形からそう呼ばれてきました。全体で台地状の地形をなし、その中の山々は無数の沢筋からなり、やんばるはそのまま海に落ち込んでいきます。生いたち故に大陸のにおいのする神秘的な多様性を秘めた亜熱帯の照葉樹の森です。じっさい、このやんばるの森に生きる生物の種の多さは驚異的です。それはほとんど奇跡としか言いようがありません。世界で唯一この地域だけに棲む固有種−したがって、この森で死に絶えればもはや地球上から消えてしまう貴重な種を含め、日本全土に棲むあるグループの種のうち数十パーセントもが、やんばるの森というこの一つの生態系の中で生きています。このかけがえのない「世界の宝」やんばるの森をこのまま破壊しつくしてしまっていいのでしょうか。もの言わぬ生き物たちの声に耳を傾けたいのです。  私は10年ほど前にウリミバエ根絶に尽力された生態学者の伊東嘉昭先生と共著で「やんばる亜熱帯の森・この世界の宝をこわすな(高文研)」を出版しました。林道周辺から荒廃が広がり、外来動植物の脅威、輪禍、人間による自然への付加を警告しています。伊東先生は昨年、やんばるを久しぶりに視察して、悪化している現状に落胆の様子を隠せませんでした。著書で「世界的な自然を守ることにこそ、やんばる三村の長期的な生活建設の道がある」と、多くの提言をしています。耳を傾けて下さい。

  今秋、世界遺産「ブナ原生林・白神山地」を視察に行きました。秋田、青森間の「青秋林道」は建設中止になっていました。そこは核となる部分の人をよせつけない険しい地形と世界遺産を体験できる森や川とがはっきり区別されていました。観光客が入る「白神ライン」は未舗装の自然道でした。いかにやんばるの林道が過密でガチガチにアスファルトで固められた尋常ではない現状かを実感しました。沖縄県はなぜ、世界遺産にさえなろうと努力しないのか、疑問を持って帰りました。その気になればすぐ出来ることです。

  県の施策は、これまでの三K経済(観光、公共投資、基地関連収入)から変化しています。失業問題など自立経済にむけて当然ながら、「沖縄らしさ」へ明らかにハードからソフトへと感じます。やんばるの森でいう「沖縄らしさ」とは何でしょうか。沖縄らしいやんばるの自然(イタジイの森)が消失してはいませんか。国の振興開発計画も新たな三K(観光、健康、環境)を打ち出しています。いまこそ県が主張する「創意工夫」「選択と集中」が必要なのにやんばるの開発の現状はそれに逆行しています。さらに林野庁による北部訓練場返還地保護区設定と森林セラピー基地構想、環境省による国立公園化と世界遺産推薦、エコツーリズム等、多くの自然的優位性を活かした健康、観光の取り組みが模索されていますが、県森林緑地課の施策は時代に逆行し、自然的優位性(特異性)を消失させています。健康、観光、次ぎに環境保全の思想が欠けています。開発は人間にとっても必要です。開発と環境保全の折り合いをつけることが必要です。しかし、現状はその折り合いをつける余裕さえ与えないものになっています。なぜヤンバルクイナの交通事故が増加したか、なぜマングースが問題になっているのか、その責任はどこに誰にあるのか、法廷で明らかにしていきたいと思います。